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あなたはご存知だろうか。 1950年代のグランプリレースを席巻したエンジニア、ジョン・クーパーを。 彼の挑戦に満ちた生涯を、少しだけ紐解いてみよう。
JOHN COOPERBIRTHDAY7.17
ジョン・クーパーがレースの中で磨き上げた、レーシングカーとしてのMINI。 その後、どのような進化を遂げたのか。 最新のMINI John Cooper Worksを、その目で確かめて欲しい。
クーパーの天才的な発想が、レーシングカーの世界にエンジン配置の改革をもたらしたことは、あまり知られていない。
クーパーは、リヤ・エンジンという大胆な発想により500ccクラスにおいて大きな成功を収め、F3、F2シーンを席巻した。
このアプローチは、バイク用のエンジンを後ろに載せてチェーン駆動するという合理的なアイデアに基づいたものだった。
クーパーの次なる挑戦は、当然F1である。1958年のアルゼンチン・グランプリでは、フェラーリやポルシェなどのビッグ・ネームを相手に勝利を収める。
1959年と1960年にはCOOPER-CLIMAXにより、コンストラクターおよびドライバーの両部門で念願のF1タイトルを獲得するに至る。
こうして、クーパーのミッドシップ・エンジン・コンセプトは、モータースポーツ界のスタンダードとなったのである。
自社の車両で成功を収めたジョン・クーパーは、当時、革命的な横置きエンジンを搭載していたMiniに大きな可能性を見出した。
クーパーによって、パワフルなエンジン、ツイン・キャブレター、新型ブレーキ、より鋭いハンドリングと敏捷なシャシーを与えられたMini。
当時としては型破りな前輪駆動の設計と車体の小ささが功を奏し、クーパーの目論見どおり、Miniはラリーで理想的な走りを見せつける。
1961年に誕生した最初のMini Cooperが、より大きく、よりパワフルなセダンをレースで破ったことで、耐久性の優れたクルマとして世界中で旋風を巻き起こした。
Miniを小型のファミリー・カーから、巨人を打ち倒すレーシング・カーへと変貌させたクーパー。彼は、レーシングカーの歴史そのものを変えたのである。
クーパーの快進撃は止まらない。驚くべきことに、考えられるほぼ全ての国際レースでMiniを勝利に導いたのだ。
中でも、モンテ・カルロ・ラリーにおける、1964年~1965年の連続優勝は歴史的な出来事だと言えよう。
続く1966年にも、同レースで圧勝。ところが、ヘッドライトが規定違反だと唱える地元のジャッジ達によって失格となってしまう。
幻の3連覇の雪辱に燃えるクーパーは、翌1967年、同レースに本来のMiniスタイリングで参戦。見事勝利を取り返した。
クーパーはその後、RACラリー、クープ・デ・ザルプをはじめ、世界中のレースで勝利。彼が引き出したMiniのレース性能は、今も受け継がれている。